【訃報】彭明敏先生が逝去

本日4月8日の早朝、台湾独立派の最も重要な重鎮と言える彭明敏先生が逝去されました。

彭明敏先生は1923年(大正12年)生まれで、家族とともに上海、日本、台湾を転々とした後関西学院、第三高等学校から東京帝大に入学しました。しかし太平洋戦争が激化する中、親戚を頼って長崎に疎開することになり、その移動のために乗っていた船が爆撃を受けて左腕を失います。幸い命をとりとめ、長崎の病院で療養中に原爆により被爆。

終戦ののち台湾に戻って国立台湾大学に転学します。これは旧制の帝国大学の学生だった台湾人は無試験で台湾大学への入学を許されるという措置によります。同時期の台湾大学には、京都帝国大学から転学した李登輝先生もいました。2人はこのとき友誼を結び、台湾の将来について語り合ったようです。

1947年に228事件が勃発。彭先生の父親彭清靠氏が事件の処理委員として国民党と交渉にあたるも逮捕されてしまいます。無事釈放されたものの、彭清靠氏は華人の血をひくことを恥じ、これより後は華人を名乗らなくなったといいます。

彭先生ご自身は無事台湾大学を卒業し、第一商業銀行に就職したものの、台湾大学の政治学科より招聘されて台湾大学の助手となりました。さらに、カナダのマギル大学に留学。中央研究院より支持をうけて奨学生となり、修士号を取得。パリ大学にうつって博士号を取得しています。

これは非常に目覚ましい成績だったため、帰国時には蒋経国が自ら出迎えました。

台湾大学に戻ってからは31歳で助教授、34歳で教授となります。

この時期の彭先生は表立っては独立運動にはかかわっておらず、蒋介石に招かれたり中華民国の10大傑出青年に選ばれるなどしています。

しかし水面下では、蒋氏独裁下で民主化を求めた雷震氏の影響を受けていたようです。

41歳のときに、当時台湾大学の院生だった謝聰敏氏、その友人の魏廷朝氏とともに、新憲法を制定して台湾として独立することを訴えた「台湾自救運動宣言」を自費で印刷しようとしたものの印刷所の店長に密告されて逮捕。8年の実行判決を受けます。

この報を受けた、日本で活動していた台湾人独立派団体の一つ台湾青年社や、カナダの台湾人独立派団体・台湾住民自決連盟などが各国に働きかけ、アムネスティ・インターナショナルなどが蒋介石に圧力をかけたために釈放されたものの、軟禁化におかれることになります。

1969年、日本の台湾独立運動の先駆けである王育徳先生の薫陶を受け、独立派に関わっていた宗像隆幸氏の手引のもと台湾を脱出。翌年1970年にスウェーデンのストックホルムに到着して亡命。その後アメリカに渡り、23年の亡命生活を送ることになります。

1988年に蒋経国が死去したことにより、副総統だった李登輝先生が総統となってから、まず国民党内部の改革からはじまって、民主化への準備が進められました。その流れの中で、台湾独立運動を反政府活動だとしたブラックリストが破棄され、台湾の国外に逃げていた活動家たちが帰国できるようになりました。1992年、指名手配を解除された彭明敏先生は23年ぶりに台湾の土を踏むことになります。

台湾に帰国後は澎湖県長選で高植澎を支援、台北市長選で陳水扁氏を支援などし、1995年に民進党に入党。

1996年に行われた台湾史上初めての総統選挙に立候補したものの、李登輝先生に敗れています。この選挙のときにペアを組んだ副総統候補が、現在の駐日代表・謝長廷氏です。

選挙後は民進党を離党。

2000年に陳水扁政権が発足すると、総統に対する顧問にあたる資政として招かれ、2期8年間の政権を支えました。

2019年には蔡英文総統に対して2期目への立候補を放棄するように要求し、民進党の党内選挙では頼清徳氏(現副総統)の支持にまわっています。

2020年には「台湾人民自救宣言続文」を発表。これは

1.台湾の独立主権は絶対譲歩してはならない
2.すぐにでも「建国会議」を開き、台湾の新憲法、国号、国旗、国家を制定して新国家成立を宣言すべし
3.全国の教育は「台湾アイデンティティ」を基礎とすべし
4.司法改革と移行期正義はすでに空虚なスローガンになっているので、必ずやり直さなければならない
5.台湾海峡の両岸は平等に交流すべし
6.台湾は、アメリカ、日本、EUなど民主陣営の一員であると明確に示し、民主国家からの支持を得なければならない
7.新しい国号、新国家の名義によって新たに国連に加入することを成功するまでやめてはならない

という7つの主張によります。

台湾独立とは何を意味するかが簡潔に、明確にアホでもわかるようにまとめられています。

台湾において「台湾独立」とは中華民国憲法と中華民国という国号を破棄し、新たな国家を樹立することを意味します。

「中国からの独立」は中国が主張しているだけで、本当の意味の台湾独立とは関係ありません。何度もしつこく書きますが、台湾は現状で中国の領土ではないので中国から独立する必要はないのです。

本日2022年4月8日。台湾時間の午前5時55分、彭明敏先生は逝去されました。享年98歳の大往生です。

御本人の意思を尊重し、いかなる形式の葬式も行わずに火葬の後高雄市の霊園に埋葬されました。

台湾独立運動へ果たされた偉大な功績に最大限の敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。