【おすすめ書籍】『リングサイド』林育徳著/三浦裕子訳/小学館

私が初めて台湾に行ったのは1985年。蒋経国がまだ存命で、戒厳令が解かれていなかったころです。

とはいえ、そんなことを知らない私が宿泊した場所の近くを夜に出歩いても逮捕はされませんでした。おそらく蒋経国の晩年は戒厳令もだいぶゆるくなっていたのでしょう。

台湾に留学経験がある人に連れて行ってもらっており、現在は艋舺公園になっている龍山寺前の夜市や華西街などで食事をしました。

華西街周辺はかつて赤線地帯で、それが廃止になったのは陳水扁市長の時代のはずなので、そのころはまだ現役だったはず。もちろん当時高校生だった私はそんなところにお世話になっていないし、今に至るまで買春行為などしたことはありません。

ただ、華西街にはコトに及ぶ男性向けに精をつける意味でなのかヘビ料理の店が立ち並び、そして「強い男」のイメージを打ち出すためか店頭のテレビでは日本のプロレスが流れていました。

蒋氏独裁の時代、台湾では格闘技やプロレスの興行は禁じられていました。でも、台湾人はまるで戦後の日本人が街頭テレビで力道山を応援したように日本のプロレスに親しんできたようです。

作中でも触れられているように、どうやら当時から日本のプロレスはケーブルテレビで流されていたようですね。




プロレス愛がつまった小説『リングサイド』

おそらく史上初めて中国語で書かれたという台湾のプロレス小説『リングサイド』を読みました。

すぐ読みたかったのと、外から運ばれてくるものには警戒心があるのでキンドル版を購入。

表紙はプロレスファンなら緑のタイツでピンとくるでしょう。作中でたびたび名前が上がる三沢光晴選手です。

この表紙は日本版の描き下ろしのようです。

キンドル版いいですね。200円安いし、訳注へのリンクがついていてページをめくらなくても注釈部分が読めます。

『リングサイド』は、10話からなるオムニバス形式の小説です。

しかし、各話はそれぞれ登場人物につながりがあり、短編集でありながら連作のようでもあります。

こうした形式は伊能静主演の『國道封閉』とか陳玉勲監督の『愛情來了』など台湾映画でも見られます。

最初の数話は、単にその話の主人公がプロレスが好きだとか、プロレス成分が薄い話が続くので「プロレス小説」と聞いて読み始めた私はちょっと肩透かしをくらった感じがしました。

しかし、徐々にプロレス成分が濃くなって「物語の片隅にプロレスがある小説」から「プロレス小説」へと変貌していきます。

前の物語の登場人物が次の物語に関わってくるだけでなく、最後の物語がぐるっとまわって最初の物語につながる構成は見事としか言いようがありません。

私は中学生のころからプロレスが好きでした。

学生時代には学校をサボって第二次UWFの旗揚げ戦を見に行ったし、新日本プロレスの初めての東京ドーム大会で獣神ライガー選手のデビュー戦やソ連レッドブル軍団を見ました。

昔はプロレスガチヤオ論争なんてものがありました。今でもそういうアホなことを言ってるバカもいます。

ただ、重さ100kgの藤波辰爾選手がトップロープから仕掛けたフライングボディアタックを立ったまま受け止めたビッグバン・ベイダー選手を見た時そんなものはどうでもいいと思いました。

プロレスはもちろんストーリーも勝敗も決まっているエンタメで、いわばリングを舞台にした肉体演劇です。純粋なスポーツの格闘技とは違います。

でも実際会場でプロレスを見れば、そこには「プロレスというリアル」があることを実感できるはずです。

この小説は、私と同じようにプロレスのことを理解していて、そしてプロレスが大好きな人が書いています。それは読めばわかります。

だからこの小説はそういうプロレスに対する熱を持っている人に読んでほしいです。

それに内容的に例えば2代目タイガーマスクの中の人が三沢光晴選手だったとか、日本のプロレスとWWEのプロレスの違いとかがわかっている人が読んだほうが話にも入りやすいです。

あとは台湾のネット掲示板で使われる「XD(縦にすると笑顔を表す)」とか、作中の「Xチャンネル」のモデルになっているZ頻道からチャンネル移動すると宗教チャンネルだったりとか、そういうのがわかるともっとおもしろいです。

ネタバレはしないけれど、全てをわかったうえでなおプロレスが好きなおばあちゃんが出てくる『ばあちゃんのエメラルド』と、プロレスラーとしてのアイデンティと原住民としてのアイデンティへの思いが語られる『パジロ』は特におすすめです。

それともう一つ。訳者がすばらしいです。

プロレスと台湾のどちらもしっかり理解していなければここまで見事な翻訳はできないはず。話にぐいぐい引き込まれる筆力もすごい。

Amazonのリンクをたどっても訳者の三浦裕子の訳書は出てこなかったのでおそらく三浦裕子名義での訳書はこれが初めてのはず。だとすれば天才です。

プロレスと台湾が好きな人はぜひ読んでください。それ以外の人は別に読まなくてもいいです。