昨2月2日、台湾大学内で1981年に国民党の特務に殺害されたと見られる陳文成博士の紀念広場落成式が行われました。
台湾では蔡英文総統就任以来、独裁政権や戦争による人権侵害や抑圧の真相を究明する「移行期正義(台湾では轉型正義)」が進められており、これもその一環と言っていいでしょう。
蒋氏政権による台湾人弾圧「白色テロ」
1947年の228事件以降、台湾を占領した蒋介石は台湾人の反乱を極度に恐れ、戒厳令を布告し、台湾人を弾圧しました。
多くの台湾人が投獄され、拷問を受け、あるいは殺害されています。
これが台湾における白色恐怖(白色テロ)です。
これは、日本の戦時中における治安維持法をさらにひどくしたようなもので、台湾独立派だけでなく蒋氏政権に都合が悪い台湾人も大量に投獄されました。
中には彭明敏先生や史明先生のように日本へ亡命し独立運動を続けた人もいれば、廖文毅や邱永漢のように変節した人もいます。
また、鄭南榕先生のように政府の弾圧を受けながら自らの節を曲げず焼身自殺を遂げた壮烈な勇士もいます。
そうした厳しい状況の中、台湾の中で民主化運動を行っていたのが、後に民進党主席となる黄信介先生が設立した美麗島雑誌社です。
美麗島雑誌社は雑誌『美麗島』を自費出版し、国民党の圧政に対抗しました。
その美麗島雑誌社が主催で行われたデモが警察により弾圧され、美麗島雑誌社に属していた活動家が逮捕されたのが1979年の美麗島事件。このとき、黄信介先生の弁護を担当したのが陳水扁弁護士。後の民選第2代台湾総統です。
このころ日本では、左は毛沢東の文化大革命を称賛し、右は反共の立場から蒋介石を礼賛していました。右も左もバカばっかりです。
台湾の現状を正しく知り、台湾独立運動に手を貸していた日本人は、彭明敏先生の台湾からの脱出を成功させた宗像隆幸先生や、台湾に乗り込んで台湾独立を訴えるビラをまき逮捕された小林正成先生などごく少数の気合の入った人だけでした。
陳文成事件
陳文成博士は1950年生まれの台湾人です。
台湾大学を卒業後、兵役を経てミシガン大学に留学。数学の博士号を取得しています。また同時に、アメリカから美麗島雑誌社を金銭的に支援していました。
その陳博士が1981年に台湾に帰郷したおり、国民党の特務に呼び出され、呼び出された翌日に台湾大学キャンパス内で遺体が発見されました。
これについて国民党政府は自殺と発表したものの、アメリカの法医学専門家が検死を行い、他殺だと断定しました。
アメリカの大学に属する博士が殺害されたということで、当時のレーガン政権は国民党に圧力をかけ、調査をさせたものの真相はわからず、今もって犯人も見つかっていません。
これがいわゆる陳文成事件事件です。
陳文成博士紀念基金会と陳文成紀念広場
民主化間もない1998年、台北の大安森林公園近くに陳文成博士紀念室が開館しました。
また設立がいつかははっきりしませんが、陳文成博士紀念基金会も設立されています。紀念室と事務所の住所が同じなので、紀念室の開館に前後して設立されたのではないかと思われます。
2011年に、台湾大学の学生たちが大学内への紀念碑の設置を提案。2015年に台湾大学側が、陳文成の遺体が見つかった場所への紀念碑の設置と、その場所を「陳文成事件紀念広場」とすることを承認。
紀念基金会がそのための募金を開始し、2019年に1100万NT$の資金が集まったためそれを元に2020年から工事が始まり、2月2日に落成式を迎えることになりました。
台湾大学は元は台北帝国大学で台湾の最高学府です。
キャンパス内には自由に入れるので、私はふらふらと入っていって日本統治時代から残る建物などを撮影したことがあります。
武漢肺炎の騒ぎが収まり、台湾へ行くことが可能になったら、この広場と紀念碑を見に行きたいと思います。