8月1日の台湾は「原住民族日」でした。これは台湾原住民が自ら「原住民」という呼称を勝ち取ったことを記念する日です。
日本で台湾の原住民が紹介されるとき、彼らの正しい総称である「台湾原住民」が使われることはまずありません。
大体は台湾先住民と書かれ、多少気が利いた記事になると台湾先住民(台湾での呼称は原住民)などと解釈が入ります。
最も頭が悪いのは、中国の少数民族と混同して台湾少数民族などと買いてあるものです。
しかし、彼らの台湾での正式な呼称は「台湾原住民」であり、先住民でも少数民族でもありません。
なぜ日本では原住民と書かれることがないのか?
それは、日本では「原住民」には差別的なニュアンスが含まれるという頭がおかしい理由からです。
もちろん、最初から差別する目的で作られた差別語は使われていいはずはありません。
しかし、日本では先に特に差別的ではない言葉があったとしても、それが差別的意味で使われると差別語であるということになってしまいます。
「原住民」も、本来差別的な意味がない言葉なのに、日本で差別的な意味で使われるうちに差別語となりました。
いかに日本人が他者を差別的に扱おうとしてきたのかがここに反映されています。
本来「原住民」に差別的な意味はありません。
台湾原住民は必ず台湾原住民と呼ぶべきです。なぜならそれは、彼らが自分たちの手で勝ち取った呼称だからです。
原住民族委員会Facebookから動画を貼り付け
この動画には、彼らが「台湾原住民」という呼称を勝ち取るまでの苦難が記録されています。
まず動画の冒頭部分を訳します。
「台湾の原住民族は、外来の原住民族以外の目には化外の民に映り”蕃”と呼ばれてきました。1895年、日本の殖民者には高砂族と呼ばれ、1945年からは国民党政府により山胞と呼ばれ、原住民族は外来者により長く汚名を冠せられてきたのです。1980年代、ついに原住民運動が起こりました。我々は自ら原住民族権利促進会により自分たちを、台湾のもともとの主人である”原住民”とする正名運動を推し進めたのです。」
補足すると、台湾の日本統治時代開始時には、平地原住民は「平埔族」山地原住民は「高山族」とされていましたが、実際には日本人入植者からは「蕃人」と呼ばれていました。高砂族になったのは1935年です。
日本統治時代には、霧社事件などの台湾総督府による原住民虐殺事件も起きています。
また、国民党による「山胞」という呼称は、山地同胞の意味。現在の中国が少数民族までも中華民族だとして統治を正当化しようとしているのと同様、原住民を「同胞」という扱いにして取り込もうとしたわけです。
実際国民党の敗北によって中国から流れてきた敗残兵、難民のうち独身男性は、原住民の中に入って原住民の女性と結婚することが推奨されました。
これは、現在チベットやウイグルで行われているのと同様の中国式の民族浄化作戦です。
よく、現在の「漢民族」に純血や遺伝子的な継承はないなどと言っている者がいますが、それに意味はありません。
「漢民族」とは、父系が漢民族であれば母系の民族は問わず子孫は全て漢民族だとする概念です。純血でなければならないとか遺伝子的なつながりがなければならないなどというのはそのへんの理屈が分かっていない連中の理屈であって、当の漢民族にとってはどうでもいいことなのです。
そうやって原住民の中に中国人が入っていった結果、幼少時から中国人意識を植え付けられる混血の子も出てきました。そういう子が成長すると高金素梅のような媚中勢力になります。
しかし幸い、民主化以降台湾人意識が涵養されるとともに、原住民にも自らのアイデンティを重視する動きが生まれています。
「原住民」とは、元から住んでいた民族という意味です。この原住民運動において彼らを「先住民」とする案も出ました。
しかし彼らは先に住んでいたのではない、元から住んでいたのだとして「原住民」という呼称を求めたのです。
原住民運動は、台湾正名運動に先立って行われた元祖正名運動でした。
原住民にとって幸いだったのは、台湾が李登輝総統時代になっていたことです。
李登輝総統は原住民の訴えを聞き入れ、公式文書に彼らを原住民と記し、そして1994年に原住民条款が制定されて彼らは「原住民」の呼称を手に入れました。
「台湾原住民」は彼らが自ら求め、勝ち取った呼称であり、彼らはこの呼称に誇りを持っています。
それを、日本では差別的に使われてきたというくだらない理由で先住民だなどと呼び替えるのは、原住民の誇りを傷つける差別的行為でしかありません。
日本人がいわゆる原住民に対して差別的であったというどうしようもない理由で、台湾原住民をさらに差別するようなことがあってはいけないのです。