台湾外交部が石垣市の尖閣諸島の字名変更に抗議

尖閣諸島は石垣島の北方、東シナ海上にある魚釣島を中心とした大小の島嶼が集まる列島です。

日本政府は明治28年=1895年に尖閣諸島を日本の領土に組み込みました。それに先立ち、明治政府は尖閣諸島の先有権を持つ国といっても可能性があるとすれば当時は清国ぐらいだったのですが、それがないか数年かけて調査した上で領土にしています。

そして、この尖閣諸島領有に対して抗議をする国はなく、日本は敗戦まで実効支配してきました。

戦後は米国が領有したものの、沖縄返還に併せて尖閣諸島も沖縄県の一部として日本に返還しています。

それまで尖閣諸島の領有権を主張する国は他にありませんでした。

ところが日本への返還に先立つ1971年、台湾を占領統治していた蒋介石が尖閣諸島の領有権を突如宣言します。これは、1968年に行われた国連の調査により尖閣諸島の海底に膨大な天然資源があることが判明したことが理由だと考えられます。

一方中国も、台湾に遅れること半年ほどたってから尖閣諸島の領有権を主張しだしました。

一時期台湾漁民が中国からの資金を与えられて日本に対する海上デモを繰り返すということがありました。

尖閣諸島は、台湾近傍にあり、台湾の漁民が漁場としてきたという歴史も確かにあります。それが、尖閣諸島が日本の領土となったために漁場として利用できなくなっていたという事情を中国に利用されたものでした。

日本のネトウヨのたぐいはバカなので、これを単純に領土問題と結びつけて台湾も敵だなどと騒いでいましたが、実際のところ漁民のデモと領土問題はまったく別。

これは、日本と台湾の間で尖閣諸島周辺海域を共同管理水域とした日台漁業協定が結ばれたことで解決され、それ以後台湾漁民による抗議デモは行われていません。

この漁業協定による漁業問題の解決は、李登輝先生の提言によるものです。

台湾は、馬英九政権時の2012年、尖閣諸島を台湾の領土とする閣議決定を行っています。

ただし、馬英九政権時代でも尖閣諸島問題について中国とは共闘しないことも宣言されており、実際のところ尖閣諸島の領有権については日本、台湾、中国の三つ巴といった状況です。

さて、今回石垣市は、尖閣諸島内にある住所「登野城(のとしろ)」を「登野城尖閣」に変更する字(あざ)名変更の議案を市議会に提出します。

これに対し、台湾外交部は尖閣諸島は台湾の領土であるから名称変更は自制すべきであるという声明を出しました。

多分またバカなネトウヨが台湾は敵だと騒ぎ出すことでしょう。

この尖閣諸島問題について、台湾が領有権を主張してきたのは実は国民党政府時代だけではなく、陳水扁総統時代にも行われています。今回の抗議声明もそれに倣った形になります。

とはいえ、台湾は中国とは異なり実際に尖閣諸島水域に対して軍艦を派遣するなどというアクションは起こしていません。つまり、「中華民国」の公式な見解として尖閣諸島が領土であるとされている以上、国として形だけでも抗議をしておかねばならないという程度のことです。日本側はそこらへんの空気を読んではいそうですかと流して、尖閣諸島は日本の領土であるから住所名の変更の権利も当然有するとだけ言っておけばよろしい。

台湾が民進党政権下である限りは日本もなあなあでやっていけるので、こんなもんはプロレスでいいんです。蔡英文総統が本気で尖閣諸島を領土だと主張しているなら、中国の侵攻に対しても何らかのアクションや抗議を行うでしょう。しかし、それが行われていないということは、中国への抗議も尖閣諸島の防衛も日本にその権利があると暗に認めているということを意味します。

それゆえ、台湾に対してはいずれ台湾が正式に中華民国体制から台湾国に独立するときに、日本は台湾政府と公式な協議を行い、台湾側の領有権主張を放棄させればいいだけの話です。