艋舺龍山寺が創建から280周年

11月25日から27日まで台北に行ってきました。1年ぶりの台湾です。

台北に到着すると必ず龍山寺に拜拜に行きます。龍山寺は私が高校2年生だった1985年、初めて台湾に行ったときに訪れた場所で、私の台湾体験の原点です。台湾に行って龍山寺に行かないというのは、私にとってはありえないことです。

龍山寺280周年

夜の龍山寺に行くと、なんか入り口が派手になっていました。

入ってみると、正殿の上の垂れ幕に280周年と書いてあり、そのお祝いとしていろいろ飾り付けがしてあるようでした。

これは翌朝の様子。

2017年に廃炉となった天公炉は撤去され、正殿の裏側に移されていました。

さらにその日の夜に行くと、普段は朝しか行われていない信徒の方々による読経が行われていました。

翌日、つまり11月27日には280周年記念式典のために一般信徒は入れなくなるためではないかと思います。

そして11月27日、艋舺一の古刹・龍山寺は創建から280周年を迎えました。

龍山寺の歴史

艋舺龍山寺の創建は、台湾が清朝に統治されていた乾隆3年=1738年。

中国からの移民が福建省の龍山寺から観世音菩薩の分霊を受け、建てられました。それ以来、龍山寺はの中心となり信仰を集めていきました。

多くの道教廟が、台湾総督府による寺廟整理という陰湿な弾圧に遭う中でも、観世音菩薩を祀る龍山寺は弾圧を免れています。

龍山寺の観世音菩薩には伝説があります。

龍山寺は近隣の人々の憩いの場所で、今でこそ夜には門が閉められてしまいますが、以前はいつでも出入り自由。夏には涼を求めて龍山寺で夜を過ごす人もいたようです。

1945年の夏のある夕方も龍山寺に人が集まっていました。しかし、その夜は妙に蒸し暑く、蚊が多かったので大部分の人たちが家に帰りました。

そしてその夜、龍山寺は米軍の爆撃を受けます。

わずかに残っていた人たちは、観音像の下に隠れ爆撃をやり過ごしました。

米軍機が去ると、伽藍は焼け落ちたのに観音像だけは無事。

像の下に隠れていた人たちも無事でした。

これは観音様が爆撃から人々を遠ざけ、残った人たちも護ってくれたのだと、龍山寺はますます信仰を集めるようになりました。

蒋氏独裁時代には、龍山寺は独立派の集会場としても使われています。

龍山寺は正殿に観世音菩薩を置き、左右に普賢菩薩と文殊菩薩を配する仏教寺院の体裁をとっているものの、その建築様式は前殿、正殿、後殿を置く典型的な三殿式。

後殿には天上聖母を中心に、関聖帝君や文昌帝君、城隍爺などの神々を祀ります。

元々中国の民間信仰は儒教と仏教が習合したもので、それがそのまま台湾にも持ち込まれた形になっています。

280周年式典に蔡英文総統が参加


林昶佐立法委員のFacebookから画像引用。

昨日11月27日朝の7時ごろに龍山寺に行くと、門が閉まって入れませんでした。それでも、門前には数人の信徒の方々が集まり、熱心に祈りを捧げておられました。

その日行わrた記念式典には、蔡英文総統、萬華を地盤とする林昶佐立法委員などが参加。

蔡英文総統は祝辞において政府は台湾宗教の各種イベント、寺廟などは観光においても重要な要素になることを期待しており、龍山寺はその典型的な代表であるとして、台北のみならず全台湾人が龍山寺を訪れ、外国人が台湾の宗教文化を体験することを歓迎すると述べました。

そうはいうものの、外国人観光客が拜拜もせずうろうろしているのは邪魔くせえって感じます。

特に朝の日本人団体と夜の韓国人団体。

西洋人はああいう幼稚な団体で徒党を組んで邪魔になることはないし、拜拜はしなくても他国の宗教に対する敬意もあるのでまだいいです。

でも日本人と韓国人のパックツアーの連中はほんと邪魔。

日本人でも個人で来ている人はガイドブックなどで拜拜の仕方などを勉強して行儀よく拜拜している人が多いからそっちはいいんですけどね。