台湾独立運動の先駆者・史明先生が逝去

2019年深夜11時、史明こと施朝暉さんが台北の病院で逝去されました。

史明先生は日本統治時代の1918年台北に生まれ、19歳のときに早稲田大学に入学。日本でマルクス主義に触れ、日本に潜入していた中国共産党の党員に誘われ中国に渡って共産革命に挺身します。

しかし、中国共産党が理想とはかけはなれた独裁政権であることを間近に見て失望。国共内戦のどさくさにまぎれて共産党から逃れ、台湾に戻りました。

しかし、戦後の台湾は国民党占領下。史明先生は台湾を蒋介石の支配から解放するため暗殺をもくろむものの実行前に露見したために逃亡し、日本に密入国します。

日本政府に亡命申請して認められた史明先生は、池袋に中華料理店「珍味」を開店。後に場所を移して「新珍味」とし、そのビルを台湾独立思想を涵養するとともに独立運動を推進する基地としました。

このとき、史明先生のもとでは黄昭堂先生金美齢先生などが学んでいます。

史明先生は日本滞在中に史上初めての台湾通史『台湾人四百年史』を執筆。台湾がオランダ、清、日本、中華民国によって植民支配を受け続けてきたことを明らかにし、台湾人へ訴えかけました。

新珍味を営業する傍ら、史明先生は台湾の独立派への資金援助なども行っています。

蒋氏独裁時代に作られた「黒名単」ブラックリストは、李登輝政権が盤石になった時点で解除。史明先生はおよそ40年ぶりに台湾の土を踏みます。

史明先生では台湾でもさらに独立思想を広め、多くの人が影響を受けました。その中でも最も大物といえるのが蔡英文総統です。

史明先生は、いつしか台湾で「史明歐吉桑(おじさん)」「台湾歐吉桑」と親しみを込めて呼ばれるようになりました。

2014年、台湾側が不利となる不平等条約である「サービス貿易協定」締結を目指す馬英九政権に対して反発した学生たちが立法院を占拠する太陽花学運が発生。史明先生は学生たちの前に現れ、学生たちを鼓舞しました。

2016年に蔡英文政権が成立すると、史明先生は総統府資政に選ばれ、蔡英文総統を支えます。

しかし鋼の革命家も高齢には勝てず、2019年9月20日逝去されました。享年は103歳(台湾では享年を数え表記するのが一般的)でした。

蔡英文総統はFacebookで、「2日前に歐吉桑をお見舞いしました。こんなに別れが早く来るとは思ってもいませんでした。歐吉桑は毎年大晦日に私と年越しの食事をともにされ、いつも私を励ましてくれました。総統としてのプレッシャーがかかる中、先輩の言葉には暖かい気持ちにさせられました。

歐吉桑は一生を台湾の自由民主、主権独立のために奮闘され『台湾人四百年史』にこの土地で起きた血涙の痕を記し、レンガより厚い『史明回憶録』には伝説的な一生を記録されています。

私は2016年の選挙の前に歐吉桑がまだ果たされていない志を大きな声で訴える姿を永遠に心に記します。来年の年越しのおりにも私は彼のために椅子を用意し、彼が台湾に捧げた一生を紀念しようと思います」

と史明先生の逝去を惜しんでおられます。