タイヤル族最後の「文面」女性 柯菊蘭さんが逝去

タイヤル族の伝統文化である「文面」。顔に入れ墨を入れている最後のタイヤル人女性・柯菊蘭さんが9月14日に逝去されました。

柯菊蘭さんは日本統治時代の1923年生まれ。

柯菊蘭さん
生前の柯菊蘭さん。画像はhttps://www.cna.com.tw/news/acul/201909140082.aspxから引用

文面はタイヤル族に伝わる伝統文化で、女性の場合、文面を入れるのは織布の能力を持ち、結婚する資格を得たことを意味するといいます。また、文様は部族ごとに特徴があり、文面をほどこしていると死後の魂は虹の橋を超えて祖先とともにいられるという非常に大切なものでした。

苗栗県は2016年にこの文面を無形文化資産に登録。当時は柯菊蘭さんの他に、簡玉英さんという文面を入れた方がおられましたが、簡さんが昨年亡くなったため、文面をもつタイヤル人女性は柯菊蘭さんのみになっていました。

これで、台湾原住民の中で文面をしているのは、セデック族の林智妹さんただ一人となりました。

文面が失われた遠因は台湾総督府の禁止令

1895年に清国より台湾を割譲された日本政府は、現地統治機関として台湾総督府を置き、当初は抗日ゲリラ掃討に血道を上げていました。

気をつけなければならないのは、この当時の抗日ゲリラには2種類いること。

1つは日本の前に台湾を統治していた清国人の兵。しかし彼らは台湾を守る気概などなく早々に退散しています。

もう1つは原住民やすでに土着していた漢人移民。彼らは義勇兵として勇猛果敢に日本軍と戦います。新北市の三峽では、近衛師団が抗日義勇軍に包囲され、ほうほうの体で逃げ出し、当地の祖師廟や興隆宮などを焼き討ちしています。

三峽祖師廟ではそんなことも知らない日本人観光客が拜拜もせずぼけっーっと見てまわってますけどね。

ネトウヨがよく持ち出すのは前者、とっとと逃げた清国兵です。彼らは本気で台湾を守ろうとした原住民、漢人義勇兵の存在や、一時日本軍が退却して廟を焼き討ちしたなどという都合の悪いことからは目をそらします。

4代目台湾総督の児玉源太郎の時代に、民政長官として後藤新平が赴任してから、やっと日本の台湾統治は殺戮から開発へと向かいました。

後藤はインフラ開発を行い、教育、医療、衛生を普及させていきます。その流れは後藤以後も引き継がれ、台湾は次第に近代化していきました。

ゆえに台湾では日本統治についてある程度肯定的に見られています。日本統治時代の建築物なども文化遺産として保護されているものが多く、その点は発狂して破壊しまくった韓国とはまったく違います。

ただ、それらの開発は別に台湾人のために行われたわけではなく、日本人が住める土地にするために行われました。台湾総督の中には、明石元二郎総督のように死んだら台湾に埋めろと言い残し、実際台湾に埋葬されているような、台湾に対して思い入れが強い人もいます。

現在でも台湾人から尊敬される八田與一氏による烏山頭ダム、嘉南大圳の開発も、明石総督の後押しがなければできませんでした。

しかし、そういう例外はあるにせよ、基本的には台湾開発は日本のためであって台湾のためではありません。

もちろん、台湾人の中にはその余慶を受けた人も多いわけです。しかし、日本統治時代台湾人の地位が日本人より低く置かれていたのもまた事実。

親日的な台湾を中国や韓国に対する対抗軸としか見ていないバカなネトウヨ連中は、日本統治時代に台湾人の地位を向上させ、議会設置や自治権獲得を目指した政治運動が存在し、それが総督府に弾圧されていたことも知りません。

台湾総督府は、台湾を近代化させると同時に、日本化もしようとしていました。その中で、多くの伝統文化が制限され、あるいは禁止されていきました。

台湾原住民の「文面」もその一つです。

柯菊蘭さんは総督府によって文面が禁止される中、こっそり文面を入れます。しかし、そのために彫師が道具を接収されてしまい、文面という分化も技術も失われていきました。

理蕃政策の功罪

台湾総督府は、当時「蕃人(後に高砂族に改められる)」と呼んでいた台湾原住民に対し、「理蕃政策」つまり原住民を手なづけ統治するための政策を行いました。

この理蕃政策のコンセプトは「威嚇して後撫する」。武力で脅し、帰順した者は優遇するというアメとムチです。

原住民抗日ゲリラに対しては、いわば攻城戦が行われました。原住民の住む山地を包囲し、武器や食料の供給を絶ち、餓死か降伏かを選ばせるというものです。

原住民ゲリラが降伏した後は、総督府は彼らの土地を収奪し、一般の警察よりも権限が強い理蕃警察を配備して原住民を抑圧しました。

中には原住民の教育に貢献して慕われた理蕃警察もいたことは確かです。しかし、そんないい警官ばかりでなかったことは霧社事件が勃発したことからもわかります。

この理蕃政策で、総督府は原住民の中で行われていた「出草」首刈りの風習をやめさせました。

出草は原住民の伝統文化で、彼らの宗教とも関わってくるものです。とはいえ、近代国家で首刈りを認めるわけにはいかない。だから、これをやめさせたことは肯定的にとらえられてもいいはすです。

しかし、霧社事件では総督府側に協力した原住民に対して「出草」の解禁が行われ、蜂起した側のセデック族の首に対して懸賞金が支給されるという戦国時代のようなことが行われました。この懸賞金は戦闘員に限らず非戦闘員の首にも支払われたというから、戦国時代よりはるかに野蛮であったと言っていいでしょう。

教育では日本語の普及が図られ、原住民の言葉の使用は制限されました。これは原住民の言語だけではなく、ホーロー語、客家語についても共通です。

日常でも日本語で会話する「国語家庭」は優遇されました。

この統治者の言語を強要する政策は戦後台湾を占領した国民党によっても引き継がれています。

ホーロー語、客家語、原住民の各言語が国によって認められ、教育機関でも教えられるようになったのは、1999年になってからでした。

もっとも、日本時代には日本語が、蒋氏独裁時代には中国語が強要されたとはいえ、その期間が短かったこともあり、それらの言語が失われるまでにはなっていません。

そうした理蕃政策の中で文面も禁止されました。

しかし、これは首刈りとは違い強制的に禁止されるべきものではありません。

原住民にとっては、死後ご先祖様に見つけてもらい、受け入れてもらうための大切な印でもありました。

近代化を進める中、原住民が自らその風習をやめていくならなんの問題もないでしょう。

しかし、タイヤル族から文面という分化が失われたのは、明らかに台湾総督府に原因があります。

日本の台湾統治は、ネトウヨが諸手を挙げて称賛するようなものばかりではないことを、知能がまともな日本人なら知っておくべきです。

タイヤル族文化の伝承を願う

台湾人は、日本時代には日本名を名乗ることが推奨され、原住民は蒋氏独裁時代には中国名を名乗ることが強制されました。

柯菊蘭さんが柯菊蘭という中国名なのも国民党により強制されたからです。あるいは日本名もお持ちだったかもしれません。調べてみましたが、本来のタイヤル族としてのお名前はわかりませんでした。

柯さんは生前撮られた記録映像で「私達は本当のタイヤル族文化を受け継いで生きてきました。あなたたち字が書ける若い人たちが文字で伝統のgaga(タイヤル語で習俗)を記録し忘れないでください」「私達がこの世を去れば、文面の人はいなくなります。もし文字の記録がなくなれば、将来の子孫は漢人と見分けがつかなくなります」と言い残しておられるといいます。

台湾総督府や国民党政権によって伝統文化が禁じられ、奪われていく中、民族の伝統が受け継がれていくことを願っておられる柯さんの姿を見て、それでも総督府の統治を全面的に肯定するような図々しさを私は持ちません。

柯菊蘭さんの享年は97歳。本当なら、本当のタイヤル族としてのお名前でその逝去を偲びたいところでした。安らかにお休みになられることを心より願います。