ちょっと前から気になってたんですけど、台湾で信仰されている六十甲子太歳神の一柱である「甲子太歳金辨大将軍」が、一部の日本人にネタ的におもしろおかしく扱われているという風潮があって、そういうのイラッとするので宗教的、文化的、歴史的な沿革をちゃんと書きたいと思います。
きっかけは「世界ふしぎ発見」?
どうやらそのきっかけは、TBSの『世界ふしぎ発見!』で新北市の石門金剛宮に祀られるこの像が紹介されたことらしいですね。石門金剛宮についても日本にはロクな情報がないので、あとで宗教的、文化的にちゃんと書いたまともな記事を書きます。
この目から手が生えて、さらに手のひらに目がついている異様な像は、確かにインパクトが強い。しかしこれは神像であり、神様を祀ったものですから、インパクトがある見た目だからといっておもしろがっていいというものではありません。
太歳とは?
太歳は古代中国の占星術において歳星=木星と対を成して運行していると考えられた架空の星です。だいたい東漢のころに、太歳が災いをもたらす凶星であるという俗信が民間で生まれ、その災いを避けるために太歳を祀るということが行われるようになっていきました。
後にそれが十二支それぞれに対応する十二太歳となり、さらに干支それぞれに対応した六十太歳が考え出されました。どうやら六十太歳を考え出したのは全真教の道士のようです。しかし、現在六十太歳は台湾でも広く信仰されているので、おそらくは正一教もそれをパクったのではないかと思われます。
干支とは?
まず大部分の日本人は干支のことを理解していないのでそこからか?そこから説明しないとだめか?
NHKのニュースですら「今年のえとは犬です」などとバカなことを平気で言い出すので大変だな。
大部分の日本人が「えと」だと思っているのは十二支です。それに当てはめられた十二の動物は十二生肖です。
「干支」は読んで字のごとく十干と十二支の六十種類の組み合わせのことで、2018年11月4日現在の干支は「戊戌」になります。干支が示す年は当然農暦の1月1日から12月30日であり、2018年が戊戌年というのは間違っています。
六十太歳神は、六十の干支にそれぞれ歴史上の人物が当てはめられています。多くはあまり知られていないマイナーな人物ですが、中には管仲や郭嘉といった有名な人物も含まれます。
台湾での太歳神信仰
台湾の廟では一般的にその年の干支にあたる太歳神が祀られます。余裕がある廟だと六十太歳全ての像があるので、自分の生まれ年の太歳神の像でお参りできる場合もあります。
ほとんどの廟ではこうしたボードにその年の太歳神の神名を貼って祀ります。この画像は2年前の丙申年に撮影したもので、太歳神は管仲でした。
多少スペースに余裕があると、艋舺龍山寺のように位牌で祀られる場合があります。そもそも位牌というのは儒教において先祖の名を記すもので、道教では神名を記して祀ることもあります。日本で仏教のもののように思われているのは、中国仏教が儒教からパクったからです。本来仏教とは何一つ関係ありません。
さらにスペースに余裕がある広い廟だと、小さい神像が六十尊祀られます。
石門金剛宮のようなかなり広い郊外の極小数の廟でのみ、こうして六十の太歳神の大きな神像が祀られ、自分の生まれ年の太歳神の前で拝むことができます。
甲子太歳金辨大将軍とは?
さてでは甲子太歳金辨大将軍について。
金辨大将軍は甲子年の太歳神です。金辨(金濂)は明の6代皇帝英宗のころ、中国西北部寧夏で観察使にあたる僉都御史についていました。金辨は才能ある人材を登用し、公正無私で民衆から慕われたといいます。また、水不足になやむ寧夏で灌漑工事を行って、水利を整備して農民を救いました。禹王から八田與一まで、水利を整備して農民を助けた人は多くの感謝を捧げられます。顕聖二郎真君ももともとは水利を整えた人物の神格化だと考えられています。八田與一ももう少し古い時代の人なら神様になっていたでしょう。
金辨が神様になったのもそうした実績から来ているものと思われます。
ではなぜ目から手が生えたか?
金辨が生きた時代より早いか遅いかは定かではありません。同じ明代に成立した『封神演義』にその理由があります。
『封神演義』は殷周革命、というより殷を滅ぼした周が創作したプロパガンダを元にした現代のカテゴリーで言うならファンタジー小説です。そこに楊任という人物が登場します。
楊任は物語のラスボスである紂王に仕える大夫でした。しかし狐狸精の妲己に惑わされ巨額な国費を投じる鹿台を建てようとする紂王に、こんなことでは「民乱れて国破れ、国破れて君主を亡くす」と諫言しました。
紂王はそれに怒り、両目をくり抜けと命じます。ところがそれを聞いても楊任は「目をくりぬかれることより、天下の諸侯がこの目をくりぬかれる苦しみを耐えぬのを恐れます」と言い放ちます。
楊任が両目をくり抜かれながらも国への忠義を尽くす胆力を持つ人物であるのを天界より見ていた道徳真君は、黄巾力士に命じて楊任をさらってこさせました。だったら目をくりぬかれるまえにさらえよとも思いますが。
ともかく道徳真君が、穴が空いた楊任の眼窩に仙丹を埋め込み、「仙天真気」を吹きかけると、楊任の両眼窩からそれぞれ一本ずつ腕が生え、その手のひらには目がついていました。この目は天界から地府までを見渡すことができて、人間界の万事を知ることができるというもの。楊任は自分を助けてくれた道徳真君に感謝して弟子となりました。
その後楊任は周に味方する側になるわけですが、最終的に甲子太歳の役割を与えられ、2人の部下とともに星の運行や人間の行いなどを見守ることになります。
なお内容については安納版ではなく原典を参照しています。
さて、道教では金辨が甲子太歳になり、小説では楊任が甲子太歳になりました。一方は実在の人物。一方は創作されたキャラクター。まったく関係ありません。しかし、どちらも甲子太歳ということで、どこかで混じってしまい、目がついた手が伸びるという小説の設定が、いつしか金辨に適用されるようになってしまいました。
金辨は立派な人物であり神様です。もらい事故のような感じで特殊な外見にされてしまったとはいえ、無知な日本人にバカにされたりおもしろがられたりする筋合いはないですね。失礼な話です。
また、上記のように六十太歳全ての像が置かれた廟は少なく、一尊一尊分けて祀ってある廟はさらに稀です。とはいえ、別に石門金剛宮に行かなければ見られないというものでもありません。
おそらく台湾で最も立派な太歳神の像があるのが指南宮。
以下は小さい神像。
松山奉天宮。
士林神農宮。
基隆慶安宮。
等々。
造形のユーモラスさでは石門金剛宮が一番だとはいえ、特に珍しい神様でもありません。
ていうか、他国の人が大切にしている信仰をおもしろがるな。