清国、日本の台湾統治と、中華民国による台湾占領

私はこのブログでよく「中華民国による台湾占領」と「日本時代」もしくは「日本統治時代」、「清朝統治時代」という言葉を使っています。今回はこの「占領」と「統治時代」の違いについて触れます。

清朝による統治

台湾はまず清朝に統治される前にオランダが台南、スペインが基隆を占拠していました。これはそれぞれの国の領土になったというよりも、東方貿易の拠点として勝手にやってきて勝手に占拠していたわけです。スペインはオランダによって追い出されました。

次に明朝が滅んでから鄭成功一派がオランダを放逐し、彼らが築いた拠点をのっとって台南一帯を占拠しました。これは鄭成功とその軍団が中国から逃げて一時的に占拠したわけです。

次に鄭氏政権を滅ぼした清朝が、台湾の主に西側を統治しました。

実はそれに先んじて豊臣秀吉が台湾に使節を送ったことがあります。しかし、台湾には統一国家のようなものがなく、原住民がそれぞれ自分たちの土地に暮らしているだけでした。

清朝はそこに台湾府を置いて実効支配しました。もともと無主の地だった台湾を実効支配したのは占領とも侵略とも言えません。ただし、これは台湾全土ではなく主に平地のみの統治でした。

右寄りの台湾関連の本なんかだと清朝は台湾に対してなに一つ開発を行っていなかったかのごとく書いてあることがあります。しかし実際には輸出用茶葉栽培のための茶園開発、軽便鉄道の敷設などを行い、台北には商会が作られて商業も発展しました。

日本による統治

明治時代に日清戦争に勝利した日本は、清朝より台湾・澎湖諸島を割譲されました。「永久割譲」などとしている本やサイトなどもあります。しかしそもそも割譲というのは領土を割いて譲り渡すという意味で、レンタルである「租借」とは違いますから、「永久」などとつけなくても割譲という言葉の中に永続的に譲られた側のものになるという意味が含まれています。

日本が領有した当初、いくつかの抵抗がありました。例えば「台湾民主国」。これは台湾を統治していた清朝の役人を総統とした国です。台湾人の中には台湾民主国が台湾史上初の独立政権だと言う人もいます。しかし実際には清朝が裏で糸を引いて、台湾が独立国家になったことを名目に割譲を反故にしようとしたものです。

台湾民主国は単なる烏合の衆であり、日本軍から尻尾を巻いて逃げました。彼らはそもそも台湾を故郷とするものではありませんでした。

上述の台北の商会は清国兵の略奪から街を守るため、日本軍の台北入場に協力し、治安維持に努めました。その中心人物であった李春生は、初代台湾総督・樺山資紀からも賞されています。

もうひとつの抵抗は原住民のものでした。清国兵とは違い台湾を故郷とする彼らは激しく日本軍に抵抗しています。原住民による抵抗は、日本の台湾統治初期には頻発しています。

とはいえ、時代が進むにつれて台湾の社会は安定し、教育が普及したことによって抵抗運動も武力抗争から政治運動へと移っていきます。

中華民国による占領

日本は太平洋戦争に敗北したことで台湾からの撤退を余儀なくされます。台湾は本来連合国から依頼を受けた中華民国による委任統治領となるはずでした。ところが蒋介石は、戦後のどさくさに紛れて台湾を領土に組み込みます。そして日本人が建設し、残していったインフラその他もろもろの財産を奪い取りました。

1949年、国共内戦に敗れた蒋介石は、国府軍もろとも台湾に逃亡し、そのまま台湾を不法に占領しました。

国民党側は中華民国の台湾占領を、カイロ宣言を根拠に正当化しています。しかし、カイロ宣言はカイロ会談に参加したルーズベルト、チャーチル、蒋介石3人ともに署名をしておらず、連合国に承認されたものとはいえません。

日本はサンフランシスコ平和条約で台湾及び澎湖諸島の統治権を放棄しました。これは中華民国への「返還」ではありません。中華民国は今現在も台湾を不当に占領している状態です。これを解消するためには、中華民国憲法を放棄し、中華民国から台湾国へと独立建国を果たすしかありません。