羅斯福路というアホ道路ははやく改名すべき

台湾における大統領府である総統府は、日本時代の1919年に建設された台湾総督府をそのまま使用しています。日本から中華民国へ台湾の支配者が変わっても台湾支配の象徴として存在するのが総統府です。ちなみに総統府の真ん前で写真撮ろうとするとしかられるので離れた位置から撮りましょう。

その総統府の正面から伸びる道は凱達格蘭大道(ケタガラン大道)と言います。ケタガランとは平地原住民の一族の名称です。この凱達格蘭大道、以前は介寿路という名称でした。介寿というのは蒋介石の長寿を願うというクソみたいな名称なので、陳水扁元相当が台北市長時代に改めました。

2003年に行われた正名運動デモの終着点もこの道の総統府の手前でした。

羅斯福路というアホな道路

さて、現在の台湾における道路の名称は、つるピカハゲ丸くん=蒋介石の時代に名付けられたものが多く、特に台北の道路には中国各地の名称が名付けられていて頭悪いです。そうやって反攻大陸を実現し、中国に君臨することを夢見ていたのでしょう。

長安路とか南京路とか、重慶路とか、中国の地名だけでなく、西藏路とか庫倫街なんてのまであります。西藏はチベットのことで、庫倫はウランバートルの中国名です。この道路名だけ見ても蒋介石及び国民党がどんだけ頭悪かったかがわかります。

そんな中、「介寿路」のように中国や蒋介石が支配しているつもりでいたチベット、モンゴルなどの地名とはまったく違う名前が着けられた道路がもう一つあります。それが羅斯福路です。

羅斯福路はだいたいハゲの紀念堂の南西あたりから新北市まで続いている長い道路です。もっとも、新北市に入ってからは名称が変わります。

羅斯福はルーズベルトのことです。どのルーズベルトかっていうとフランクリン・ルーズベルト。これは、ルーズベルトのおかげで台湾が中華民国に「返還」されたことへの感謝の印として名付けられたものです。

蒋介石は1943年、ルーズベルト、チャーチルとのカイロ会談に参加し、満州、台湾、澎湖諸島を中華民国に「返還」することを約束したいわゆる「カイロ宣言」を結びました。中華民国による台湾占領はこの「カイロ宣言」が根拠となっています。

ただし、陳水扁元総統は総統時代に、この「カイロ宣言」なるものは3者の合意が得られたものではなく、3者の署名もされていない単なる声明文であって、台湾支配の根拠にはなりえないとしています。要するに単なる密約に過ぎません。そもそも中華民国建国時台湾は日本に割譲されていたのだから「返還」というのはおかしな話。実際日本はサンフランシスコ平和条約において台湾と澎湖諸島の支配権を放棄しただけであって、中華民国に「返還」したわけではありません。

とはいえ日本はアメリカに負け、蒋介石はその密約を元に台湾を中華民国の領土に組み込んで、共産党に負けてからは台湾を占領支配しました。蒋介石が台湾を占領し、肩肘張って中華人民共和国に対抗したおかげで台湾が今の中国の領土にならずに済んだというプラス面もあるにはあります。

ただ、そのプラス面は蒋介石が台湾で行った台湾人虐殺、粛清や国連からの脱退などで帳消しどころかマイナスです。

羅斯福路=ルーズベルトストリートというのは、蒋介石の台湾占領の象徴みたいな通りなわけで、介寿路と同様アホな名称ですよ。介寿路がずいぶんと前に改められたのだから、羅斯福路も改めるべきでしょう。