10月10日は「台湾の建国記念日」などではない

明10月10日は中華民国の建国記念日にあたる「国慶節」です。10月10日なので「雙十節」とも呼ばれます。ゆえに日本には「10月10日は台湾の建国記念日」などとバカなこと書いた情報があふれることでしょう。では明日の「国慶節」を台湾人がみんな祝福するか?否です。

台湾はいまだ建国していない

中華民国は孫文がアメリカに金集めに行っている隙にやっちまえってことで起こされた武昌起義を発端に展開された辛亥革命により建国にいたりました。武昌起義が発生したのが10月10日なので国慶節になっています。なお、実際に国として建国されたのは1月1日です。

中華民国は1949年に共産党軍に敗北し、滅亡しました。現在の中華民国は台湾に敗走した蒋介石による亡命政権です。この亡命政権はそれに先立つ1947年に起きた228事件、不満分子を投獄、処刑する白色テロによって台湾人を虐殺、粛清しています。

このような中華民国による独裁体制からの独立を目指したのが台湾独立運動です。台湾はそもそも中華人民共和国には属していないので、中華人民共和国から独立する必要はありません。

台湾占領政権の2代目である蒋経国は立場によって評価が分かれます。白色テロ時代を生きた独立派は、蒋経国を特務のボスで蒋介石と同様に台湾人を虐殺、抑圧した張本人と見るし、農業の専門家として国民党に入り、その後蒋経国に副総統に抜擢された李登輝先生は蒋経国がいずれ台湾を民主化するつもりでいたと語っています。十大建設によって台湾を近代化したという功績は日本の台湾統治同様正当に評価されるべきでしょう。

蒋経国は1987年に戒厳令を解除し、同年12の地域の代表者を招いた茶会においては「我在臺灣住了四十年,是臺灣人,當然也是中國人。」(私は台湾に40年住んだ台湾人である。もちろん中国人でもあるが)と発言しています。

蒋経国には正妻の蒋方良(ロシア人妻のファイナ・イパーチエヴナ・ヴァフレヴァの中国名であるため同姓)、愛人の章亜若との間に設けた子供がいますが、その誰も後継者に指名していません。糖尿病によってだんだん弱っていく中後継者を指名しなかったのはそこで世襲独裁を断ち切るつもりであったためと考えられています。

関係ないけど蒋経国の孫の蒋萬安氏と握手したことがあります。つっても、立法委員選挙前に公園にいたら向こうが来て勝手に握手していったというだけの話ですが。

ともあれ蒋経国が蒋家から後継者を選ばなかったために、その死去後副総統の地位にあった李登輝先生が臨時総統となり、辣腕というより豪腕をふるって台湾を民主化させました。

しかし、国民党以外の政党が認められなかった時代に台湾を民主化させるためには、中華民国体制の総統として力をふるうしかなく、李登輝時代に中華民国体制を脱することはかないませんでした。

台湾ではじめての政権交代を果たした陳水扁総統は、国情安定を優先して台湾独立を棚上げにするものの、次第に独立色を強めていきます。この時代、日本で立ち上がった「台湾正名運動」が台湾にももたらされ、民主国家時代の新たな独立運動の方向性として、中華民国から台湾国へ「正名」するという流れが生まれます。

就任中陳総統は新憲法制定をできなかった李登輝前総統を批判するものの、彼自身もそれを果たすことができず、3期目の総統選挙では中国と疎遠になったことが経済を悪化させたというプロパガンダを行った馬英九に破れます。

馬英九時代には独立運動、正名運動は後退、中国との関係は良好になったものの、台湾企業が中国に進出し、対中依存が高まるばかりで、台湾は空洞化に向かいました。

あまりにも中国への依存度が高まる中、若い世代から太陽花学生運動が勃発。馬政権への批判がつよまり、2016年に国民党から民進党に政権がうつります。

簡単に歴史の流れを俯瞰してきましたが、要するに台湾は中華民国体制からいまだ脱することができないでいます。

10月10日の「国慶節」は、清朝を倒した中華民国の革命記念日です。その時代、台湾は日本の統治下にありました。孫文は武昌起義から間もない1913年に台湾を訪問したことがあります。しかし孫文が台湾は本来中華民国の領土であるなどとは言っていません。台湾にとって辛亥革命は別の国の話でした。

10月10日を「台湾の建国記念日」などとするのは、中華民国による台湾占領が正当であると認めるようなものです。

蔡英文総統は就任以来就任式をはじめ公式の場では国歌を歌ってきました。しかし、9月3日、9月4日に行われた式典では国歌を歌わなかったとして国民党などから批判を受けています。総統たる身で国歌を歌わなかったという意味が理解できるのであれば、雙十節=台湾の建国記念日などという軽率な言葉は出てくるはずがないんです。