台湾の弁護士・呂秋遠氏が警世の詩

パラグアイのマリオ・アブド・ベニテス大統領就任式出席など台湾と外交関係を保つ中南米の国歴訪に出た蔡英文総統が、ロサンゼルスで台湾のカフェチェーン85℃に立ち寄ったことが中国で報じられ、中国では85℃の不買運動が起こっています。情報統制が徹底されている中国で普段どれだけ台湾に関する報道がなされているかは知りませんが、総統がカフェチェーンに立ち入ったなどという小さいニュースをわざわざ報じたのは、中国に進出している台湾企業が苦境に立たされるのは蔡総統のせいであるというイメージ作りをするための意図があったことは十中八九間違いないんでしょう。

台湾ではこの騒ぎに対して85℃が蔡総統のことを「台湾地区指導者」だなどと貶め「一つの中国」を支持すると表明したことで反感を買い、85℃が中国に対して85度膝を屈したと揶揄される始末です。

無関心は最大の敵

この問題にからめ、台湾の著名弁護士・呂秋遠氏がFacebookにある詩を書き込んで話題になっています。まずはその全文を引用します。

當中國要求航空公司改變台灣名稱時,我沒有說話,因為我只是乘客,只要能到,名稱是什麼,我不在乎。

當中國要求台灣藝人表達政治立場時,我沒有說話,因為我不是藝人,只要能賺錢,政治立場是什麼,我不在乎。

當中國要求台灣運動員要以中華台北名義參賽時,我沒有說話,因為我不是運動員,只要能比賽,國格是什麼,我不在乎。

當中國要求台灣總統不能在路邊買咖啡,我沒有說話,因為我不賣咖啡,總統不會到我家買東西,我不在乎。

他們現在認為我支持台獨,不讓我生活,沒有任何一個人可以為我說話。

因為,先前我都不在乎。

訳すとこうなります。

中国が航空会社に台湾の名称を変更するように要求した時、私は声をあげなかった。私はただの乗客で、乗客でいられるのならば名称が何かは気にしなかったから。

中国が台湾の芸能人に政治的立場の表明を要求した時、私は声をあげなかった。私は芸能人でなはく、金を稼げるのなら政治的立場がどうでも気にしなかったから。

中国が台湾のスポーツ選手に「中華台北」の名義で大会に参加することを要求した時、私は声をあげなかった。私は選手ではなく、競技が行われるなら国格(注:国の尊厳といった意味)がどうでも気にしなかったから。

中国が台湾総統に通りすがりにコーヒーを買うのも許さないとした時、私は声をあげなかった。私はコーヒーを買わないし、総統が我が家で買い物するわけでもないので気にしなかったから。

彼らは今私を台湾独立支持者だと見て生活をさせないでいて、誰も私のために声をあげない。

なぜなら私はこれまで全てを気にしてこなかったから。

これは実は反ナチ運動を行ったドイツの牧師マルティン・ニーメラーの詩をもじったものです。上記の訳はwikipediaにあった元ネタの詩の訳文に寄せてあります。一応元の詩の日本語訳もwikipediaから引用します。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

この詩は無関心は結局自分に跳ね返ってくるのだということを伝えています。呂弁護士が台湾人に向けてこの詩を書きました。日本人も無関心のままでいいはずがありません。むしろ事なかれ主義という伝統を持つ日本のほうが問題を大きくしてしまう可能性があります。

しかし、事なかれ主義よりもさらにいけないのは、よくある「中国崩壊論」つまり中国はあと数年で崩壊するといった楽観論というより願望論です。この中国崩壊という願望論は私が知る限りでも2002年ごろから続いています。それらの願望が2018年の今日までかなうことはありませんでした。敵に勝つためには、敵の自滅を願望していてはいけないんです。敵は健在なりと備えなければ勝つことはできません。台湾に対しても、情の部分ではなくもっと戦略的な観点から関係を強化していかねばなりません。