行天宮を宗教的な部分でちゃんと解説する

台北北方で松山空港の近くにある廟、行天宮は日本人にもわりと有名な観光スポットですが、それはどちらかというと行天宮の前にある地下街「占い横丁」の関連で有名らしいです。あそこの占いは日本人に対しては壮絶に適当ですね。日本語OKのところがあまりにもいい加減でイラッとしたので、唯一扉があって日本語はできないという先生にお願いしたらそれはもう懇切丁寧にしっかり占い、よいアドバイスもしてもらえました。

日本で行天宮を紹介しているサイトを見ると、かなりちゃんと歴史的なことまで踏み込んで書いているところもあるけれど、それはごく一部の例外です。大部分はパワースポットだの商売の神様だのまあろくな内容で書いていないので、主に宗教的な部分で行天宮を解説しようと思います。

行き方:行天宮駅から歩いて5分ぐらい。

行天宮の沿革

桃園MRTができた今ではもう利用する人も少なくなった桃園駅からのリムジンバスに乗って台北に向かうと、高速道路の出口に廟があるのを見たことがある人もいると思います。ここは覚修宮という鸞堂恩主信仰の廟です。鸞堂恩主信仰については後で説明をします。

1943年、この覚修宮から郭得進という信徒の方が五恩主の分霊を受け、今の迪化街のあたりに三階建ての「行天堂」という廟を建てたのが行天宮の始まりです。覚修宮の主祭神は呂恩主洞賓ですが、行天堂では関恩主を主祭神としました。この行天堂に兄の紹介で黃欉という人が入信します。

黃欉さんは1911年生まれで日本の教育を受けた世代。日本人が経営していた金物店の商品を、その日本人が本土に帰るおりに買い取り、兄とともに金物店を経営していました。そして28歳のときに三峡の炭鉱に投資し成功します。

黃欉さんが行天堂の信徒となったのは32歳のとき。これは病気のお父さんの回復を祈るためでもあったようです。行天宮の案内によればこのときに関聖帝君の神徳を得て悟りを開き、教えを広める決意をしたようです。またこのときに「悟道」という法号を得ています。

1945年には、炭鉱に伝染病がはやったために簡易診療所と祈祷所を兼ねた「行修堂」を設立。

1949年に関聖帝君の神託を受け、林森北路に「関帝廟行天宮」を設立。師匠の空真子道長こと郭得進さんを住持に据えます。しかし後にその場所が学校の建設地に選ばれたため、北投に分宮を建てました。この分宮は今もあります。

1952年にはお告げを受けて道号を「玄空」としました。今の行天宮では黃欉さんは玄空師父として尊崇されています。

1958年に空真子道長が亡くなったため、兄弟弟子からの推挙を受け、炭鉱事業を手放して、関帝廟行天宮の住持となります。

そして1964年、今の場所の土地を購入。行天宮を建設。しかし、その6年後、60歳という若さで逝去しました。

日本では宗教は金儲けの道具にしかされていませんが、玄空師父は日本には見られないような本当の宗教人でした。それは今の行天宮の理念や事業を見ればわかります。

玄空師父は「廟で神を敬うのに線香・花・果物を準備していなくても問題ない。線香を買わなくても大丈夫。もしその人の心が善良で、自ずから道徳の香りを発しているならば、恩主はそれを一番喜ばれるでしょう」という言葉を残しておられます。

行天宮では以前は無料で線香を提供していましたが、線香の煙が環境に与える影響が問題視される中、2014年に台北でいち早く香炉を廃止し、お参りは手を合わせるだけでよいとしました。

また、恩主は濟世助人、つまり世直しと人助けの聖徳をもつものだとして、それに従い布教の他に文化、教育、医療、慈善活動を行っており、実際に行天宮助学金という奨学金のような制度を設けていたり、病院を設立したりしています。

宗教の世直しというと黄巾の乱からオウムのテロ事件まで暴力革命を思い浮かべるかもしれませんが、そういうものではなくあくまで穏当に行われているし、日本の宗教団体のように政党をつくったりなどもしていません。

さらには一般の道教廟のような金紙を燃やす炉をおかず、豚や鶏のお供えをさせず、功徳箱つまり日本で言う賽銭箱も置いていません。

鸞堂恩主信仰とは

さてでは鸞堂恩主信仰について説明します。鸞堂は道教の占いの一種・扶乩から発展した宗教です。扶乩は術者が木の枝のようなものを持ち、神意を感得すると砂の上にそのお告げを書き記すというものです。扶乩は扶鸞とも呼ばれています。鸞は西王母のペットの鳥のこと。鸞が天界から神意を伝えに飛んでくるため、鸞がとまれる枝を筆代わりとしています。

鸞堂は中国生まれの信仰ですが、台湾で発展し、特に日本時代に広まりました。鸞堂はアヘンの使用を禁じて積極的にアヘンを排除しようとしたため、それが台湾総督府のアヘン政策とも一致しており布教を容認されていたところもあるようです。

その鸞堂が信仰対象としたのが関聖帝君、孚佑帝君、司命真君の三柱の神を「恩主」とした「三恩主」であり、後にそこに岳飛と王天君が加わって五恩主となりました。行天宮の始まりとなる行天堂が分霊を受けた覚修宮も恩主信仰の廟です。ただし、覚修宮のほうは行天宮とは異なり五恩主の他に西王母や呂洞賓が属する八仙、五文昌などその他道教の神々も祀っています。とはいえ、行天宮も北投分宮のほうには玉皇大帝や三官大帝、太上老君などが祀られる他、劉備や張飛まで祀られています。

しかし、このように道教の占いから発展した鸞堂が起源になっているにもかかわらず、玄空師父不演戲酬神、つまり扶乩のようなシャーマニズム的占いによって報酬を得ないとしています。ただし無料のおみくじはひくことができます。

行天宮では無料で「収驚」を受けられます。これはなにか不意に驚くことがあったときに抜けてしまった魂を元の体に戻すという儀式です。逆に言えば魂が抜けてしまうようなことがなければ受ける必要はありません。沖縄にも驚いたときなどにマブイ(魂)を落とすので、ユタに戻してもらうという風習があります。

行天宮の五恩主

行天宮本宮に祀られているのは五恩主+周倉・関平です。周倉は関羽麾下の将軍、関平は関羽の息子で、関聖帝君の左右に必ず置かれる従者のような神様です。

・関聖帝君
関聖帝君は一般的な道教では確かに商売の神様ということになっています。これは関羽が塩商人の守護神とされたからだとか、公平無私の人でごまかしをしなかったからだとか言われています。しかし行天宮ではそのようなご利益をうたってはいません。

行天宮では関聖帝君の訓として「読好書、説好話、行好事、做好人」を掲げています。関羽は左伝を愛読していた読書家の側面も伝えられています。

正しい知識と見識を得て人生を開く智慧を得るというのが「読好書」

物事を良い方に解釈して受け入れ、ポジティブな励ましをするのが「説好話」

他人のために無私の心で尽くすのが「行好事」

悪習を絶ち人の心を察して困難にあたるのが「做好人」

どちらかというと仏教的な考え方ですが、本来の道教も儒教や仏教をある程度取り入れており、行天宮の場合さらにそれが強くなっているようです。形よりも祈る心が大切で、迷信は断つという玄空師父の思想にもそれが表れています。

行天宮に「商売の神様」をお参りに行くというのは的外れであることがわかると思います。

・呂恩主洞賓
呂洞賓は唐代の道士とされますが、本当に実在したかどうかは不明です。八仙の一人であり、全真教の祖師ともされていて、民間、特に農村では施しを楽しみとし、危難困難を助けてくれる神様として信仰されていたといいます。

・張恩主単
張単は道教で司命真君と呼ばれる竈の神様です。竈からその家の人間の善悪を監視し、その家の鎮護ともなります。

・王恩主善
王善は王天君のこと。豁落靈官という神名を持っており、玉皇大帝の護衛ともされている神様です。

・岳恩主飛
岳飛は北宋の武将で北方騎馬民族国家・遼の侵攻に対して奮戦したものの、秦檜の讒言により殺されました。道教では主に「岳武穆王」という神名で祀られます。

行天宮への行き方

ではここまで読んでくれた人のためにちゃんとした行き方です。

行天宮へは、台北MRT中和新蘆線の行天宮駅で下車。出口3から地上へ出て、その目の前を走る松江路を北にまっすぐ5分ほど。大きい交差点の向かい側に見えてきます。

中和新蘆線に乗るには、台北起点の場合は板南線で忠孝新生まで行って乗り換える方法と、淡水信義線で民権西路まで行って乗り換える方法があります。

行天宮北投分宮

さてついでに北投分宮について。こちらは行天宮本宮より先に作られた廟で、台北郊外の北投にあります。

本宮との違いは玉皇殿があり玉皇大帝が祀られていること。前殿中央の「玄靈高上帝」は第18代玉皇大帝です。玉皇大帝は道教の最高神ですが、宗派によっては代替わりをしていると考えることもあります。そして第18代玉皇大帝になったと考えられているのが関羽です。配祀される玄穹高上帝は玉皇大帝の別名であり、代替わり説によれば第17代玉皇大帝でもあります。

蜀漢昭烈帝は言うまでもなく劉備です。

さらに諸葛亮、張飛や、三教合一の象徴として道教の太上老君、仏教の釈迦牟尼仏、儒教の孔丘も祀られています。

北投分宮へは、まず淡水信義線の復興崗駅下車。出口1を出た横にある線路沿いの小道を西に歩いていくと中央北路に合流します。そのままさらに西に歩いて行くと

こんな建物が見えるので、道路を渡りこの建物の横の道を登っていけば

こんな感じで入口につきます。