台南の国立台湾歴史博物館で明治の人類学者・伊能嘉矩の特別展開催

台湾に漢人が移入してくる以前から住んでいたオーストロネシア語族の諸言語を話す人達を原住民と呼びます。日本では差別的な意味がない言葉が差別的な意味をもたされるという意味不明なことが発生しますが、原住民は台湾に元から住んでいた民族という意味で当然そこに差別的な意味などありません。

現在台湾の原住民として政府に認められているのは16族。そのうち最大数なのが台湾東岸に住むアミ族です。国立科学博物館を中心に日本の研究者が現在行っている「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」によれば、沖縄には台湾東岸から人類が移住したと考えられており、3万年前に台湾東岸にいた人々がそのままアミ族だったかはわかりませんが、確かに沖縄の人の中にもアミ族の人のようなエキゾチックな顔立ちの人を見かけます。下地紫野ちゃんがかわいすぎ問題なのもそんな台湾原住民からの血が流れているからかもしれません。

さて、現在のように10を超える民族が認定される以前は、原住民は9族に分けられていました。南投県の九族文化村もそこから来ている名称です。

台湾原住民研究の第一人者・伊能嘉矩

初めて台湾の原住民を研究し、分類したのは明治時代の人類学者・ 伊能嘉矩でした。伊能は日本領有直後の台湾に渡り、総督府の調査として台湾全土をまわって『台湾蕃人事情』という報告書を出し、原住民を七つの部族に分類しました。「蕃人」は日本以前に台湾を統治していた清朝の漢人による原住民の呼称で、後に平地原住民を「平埔族」山地原住民を「高山族」→「高砂族」へと改めているものの、『KANO』などを見ると蕃人という俗称自体は昭和になるまで残っていたようです。

伊能が七つに分けた部族を、伊能の同門の人類学者・鳥居龍蔵がさらなる調査によって九族へわけ、日本時代はそれが定着していました。

伊能嘉矩は台湾原住民研究の嚆矢であり、日本に帰国後は郷里の岩手県遠野の研究を行って柳田國男へも影響を与えています。

台湾領有後期こそ、「高砂義勇隊」として日本のために戦うまでになっていた原住民ですが、領有直後はとっとと逃げ出した清軍とは異なり、勇猛に日本軍に抵抗を行っていました。また、原住民の中には首刈りの風習を持つ部族もありました。

そんな中原住民の中に分け入り、調査をし、写真まで残している伊能や鳥居は超人的です。

そんな偉大な学者である伊能嘉矩の特別展が、現在台南の国立台湾歴史博物館で開催されています。この特別展では、台湾大学が所蔵していた伊能直筆の原住民系統分類図も初めて公開されています。

この特別展は来年1月1日まで開催されているとのことなので、台南に行く時は是非行ってみてください。

国立台湾歴史博物館へは台湾鉄道台南駅から車で30分~40分かかるとのことなのでタクシーで行くのが無難なようです。詳しくは

国立台湾歴史博物館の公式サイトを御覧ください。